No.1 馬鹿げた人生の目標
最近忙しくて。
YouTube、なろう、カクヨム、課題、予習、復習。ネットもリアルも問わず忙しさに襲われる。
だから「俺」は一体何のために生きてるのか。そう悩む日々が続いてる。
思春期だから、っていうのもあるけどそうじゃない気もする。
俺はいつか、「俺」である必要を見失った。
それでも自殺は許せなかった。
だって俺は「自ら死にゆく人間に嫉妬させる」人生を歩もうと決めてたから。
だからまだ生きれた。俺の唯一の、バカげていたけど輝かしい目標だった。
まだ死ねない、そういう明るいことだけ吐き出していたらいつの間にか友達ができていた。
いつの間にか「俺」は孤立してなかった。誰かと話すことができた。
でも、言っていないだけで心の中でいつも後ろを向いていた。
目標がなかったら、こんなつらい世界オサラバしてやるって、涙ながらにそう思っていた。
過去の話をしよう。
俺はずっとこんなことを思ってた。
「俺、実は弱いんだよ。それこそネタじゃないけど豆腐の角ぐらいに。」
「誰かと話したいだけなんだよ。誰かと話したいだけで、笑われたい訳じゃないんだよ。誰かと話したいだけで、話せれば生きていけるんだよ。」
誰にも言えなかったから心の中でそうやって思ってた。
「孤立しても、話し相手が居ればいいんだよ。」
最終的にその結論に至ってから「俺」になって、必死に頑張った。
孤立して、ストレスで手足が少し痺れるぐらい辛いことにも耐えて、一人でやっていったんだよ。
でも、無理だった。一人で生きるのは辛過ぎた。
だから、「俺」は死にたがった。でも、それを俺の目標が許さなかった。
いつの間にか俺は、「俺」と俺のことを混同していた。「俺」はすでに俺の一部になっていた。
俺の最大の目標はいつの間にか消えたがる「俺」へのストッパーになっていた。
「俺」は俺が作ったストッパーのおかげで生きていけた。結局は俺の選択だった。
あとから分かったことだが、なんだかんだ息絶え絶えでも「俺」は生きたがっていた。
俺は、これからどうやって生きようか。そもそも俺が「俺」である必要もない。
もし「私」だったら、どうやって生きてたのか。分かるはずもない。それを否定したのは「俺」だったから。
こんなクソみたいな葛藤、吐き出せるのはここしかなかった。
実際クソ過ぎて常人にわかるハズなかった。でも俺が「俺」を突き動かして書いた。
そんな風に、「俺」はネットを続けた。でも、俺はもしかしたら疲れすぎていたかもしれない。
俺の「俺」に動かすための体力すらも残っていない。
今の「俺」のネットでの目標は「誰かに楽しいことを広げること」
でも、それは俺の生きる目標の一部でしかない。「自ら死にゆく人たちに嫉妬される存在」になるための一つ。
「俺」は俺自身に期待していいのだろうか。それはこれから活動を続けるなら、ずっと問い続けられる質問だろう。
最後に、俺が「俺」の問いに答えられなくなった日が「俺」の最後の日になる。
そうなればきっと「俺」は表舞台に二度と出なくなるだろう。
なぜなら、そのまま放置すれば「二度と表舞台に出てはいけない人」になるのだから。